Cross・Maria

フツーの主婦が子育てあるあるをつぶやきます

雑記・その⑤/登校渋りPart1


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不登校の手前の「学校に行きたくない」とグズることを

『登校渋り』

と呼びます。

 

文科省が定義を示してくれているわけではありませんが

朝になると、登校したくないとグズり、渋ったりすること。

しかし結果的には登校している。

のです。

 

 

ですから、不登校と違って、登校渋りが日本全国に何%くらい存在するか、把握出来ていないと考えられます。

なぜなら『とりあえず登校しているから』数値は目に見えていませんよね。

 

 

我が子には、この登校渋りがあります。

対応に困り果てて、臨床心理士の先生のカウンセリングを受けるようになりました。

 

登校渋りはグズグズ言いつつも最終的には登校しますし、でもどうしても気力が湧かない時には休みます。

 

休む期間はひと月に1日だけだったり、1日おきだったり、2~3日休んだり、休み方も一様ではありません。

そして、不登校のように長期間連続では休みません。

 

 

保護者が

「うちの子は登校渋りがあります」

と学校へ申し出ない限り、担任の先生から見れば

「この生徒は、ちょっと身体が弱いのかな」

といった印象を持つことでしょう。

 

登校渋りの原因はまた様々です。

発達障害だったり、HSCだったり。

 

我が子はHSCなので、それに関する書籍が増えており、対応方法は比較的入手しやすいと思います。

 

しかし不登校でさえなかなか認知されないのですから、登校渋りはもっと理解してもらえません。

 

 

我が子が学校に行きたがらないと普通に話すと

「ワガママに育てちゃったね」

「育てにくいお子さんね」

なんて言われる事もありました。

 

 

違うんです!!!

 

 

我が子は我が子なりに、たくさん感じて、

たくさん吸収して、

たくさんイヤな事もあって、

たくさん考えて……

爆発寸前だから

行きたくない

になっちゃうんです。

繰り返しますが爆発寸前なのです。

 

特にHSCは何事に対しても過敏です。

先生が男子を叱る声に、自分の気持ちがやられてしまったり、

女子がこそこそと誰かをイジメているのを見ると、自分の気持ちがやられてしまったりするんです。

 

ここで

「あなたに対してではないから気にするな」

と言ってしまうと、これは完全に親側の価値観の押し付けになってしまいます。

 

私(親)は気にならない⇒だからあなたも気にするな、という理屈は、

気にする人の気持ちを完全に無視していることになるのです。

 

そしてこれもよく言われますが

「自分自身をしっかり持っていたら、他人は気にならない」

ということ。

 

 

これも違うんです!!!

 

 

自分自身が確立されているからこそ、他人の気持ちが痛いほど理解出来て、やられてしまうのです。

HSCの子供から見たら、他人は気にならない子供が無神経に見えて仕方ないのです。

 

 

人には多様性があります。

価値観も各々違います。

 

 

ですから

「いろいろ気になる」

と言っているお子さんの気持ちをワガママだと叱ったり、全然理解出来ないとため息つくのではなく

「そうよね、あなたは気になっちゃうよね

と受け止めることが最初のステップです。

 

理解出来ていなくてもいいんです。

とりあえず

「あなたは気になっちゃうよね」

これを口にするだけで、お子さんは

「お母さんは僕を(私を)わかってくれた」

と心を閉じることはなくなります。

 

 

 

 

⑱一線を引く/その1



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バウンダリー(Boundary)=境界線

自分自身と他者の間に境界線を引くことです。

 

アドラー流では『課題の分離』とされています。

あなたの課題、私の課題、と一線を引き、他人の課題を引き受けないことです。

 

 

境界線を引くってなぜ?とお思いでしょう。端的に言えば、ストレスから自分自身を守ることになるからです。

 

 

境界線を引けていないことによって

・心の奥底では「やりたくない」と思いながら渋々やることで発生するストレス

・他人の言動や感情のケアをしなければならないストレス

・境界線を引けていないことによって、無意識のうちに他者をコントロールしようとするストレス

 

等々が降りかかってきます。

 

 

他人の課題を引き受けてしまって、あなた自身がストレスに支配されてしまっては本末転倒ですよね。

 

世の中には面倒な事を何とか他人に押し付けて、自分は楽をしようとする人間が、どんな業界、どんな企業、どんな世界にも一定数存在します。

 

 

またこのような人は

『頼まれたらイヤと言えない人』を見抜く力が、なぜか備わっています(笑)

しかもあまり意識的には行っていない人が多いですよね。

 

無意識に利用出来そうな人を見抜いて、実際に利用してしまうなんて、一種の才能です(もちろん皮肉ですが)

 

 

ここで誤解を招きたくないのですが、境界線を引いて内に籠ろうと言っているのではありません。

『個人の概念』

『個人以外の概念』

を切り離して考えることと言えば、わかりやすいでしょうか?

 

 

他人は他人として存在を認めつつ、あなた自身をしっかり守るイメージです。

 

 

また再び、バウンダリー(境界線)の引き方については記していきます。

雑記その④/ママ友の距離感


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2021年3月に発覚した福岡県の篠栗町で、母親と一緒に生活していながら、五歳の男の子が餓死した事件。

ショッキングでしたね。

まだ人生のほんの入り口で、命をなくしてしまった男の子のご冥福をお祈りするばかりです。

 

最愛のママから水しか与えられずに亡くなっていくなんて、この物質的に豊かな現代社会ではとても考えられない事件でした。

 

本音は、まあいろんな感情ありますが......ここでは触れないことにします。

支配していたとされる女性に対して、罵詈雑言を浴びせかねないので。

 

 

 

報道で明らかになるにつれ、ママ友に支配されていた母親の姿が見えてきました。

 

ママ友って、文字通り

『ママとして知り合う』

ので共通項は

『子持ち』

です。

時には最強の味方であり、

時には最大の敵にもなりうる存在だと私は思っています

⇒あくまで私の主観です。

 

最大の敵とは、この我が子を餓死させてしまうくらいに母親がママ友からコントロールされて、人間としての尊厳も何もないこんな状況をさすかなあと思います。

 

 

私は基本的にママ友はある一定の距離を保つようにしていて、子供同士はお互いの自宅を訪問しあって遊んでも、ママを招きませんし、私も訪問しません。

お誘いを受けても、何だかんだと理由をつけて伺わないようにしています。

 

理由は非常に簡単で、我が家のキッチンやリビングを、あまりよそ様に見られたくないだけです(笑)

 

まだ我が子が生まれてすぐの頃に、同じマンションの顔見知りの奥様と廊下ですれ違いました。

 

ベビーカーの我が子を見て、おめでとうとお祝いを述べた後に、その方が

「同じ学年になるかもしれない同じマンション内のお子さん」

を教えて下さいました。

 

教えて下さるのはありがたいです。

でもこの情報も、人によっては話して欲しくないかもしれないよね……と考えながら、聞いていました。

 

話が弾んで(というより、ほぼあちらが一方的にお話しをされていた)ママ友の必要性も説かれました。

「悩みがあったら打ち明ける相手が必要」というわけです。

 

そしてなぜか、その方が仲良くしているママ友のお話しになり(この方も同じマンションでした……)

「彼女のこと、嫌いじゃないんだけどね、リビング見ると、ゴミひとつ落ちてないの。でもキッチンはぐちゃぐちゃなの。意味わかんないでしょ?洗い物が山のようにシンクに溜まっていて、食器も100均っぽいし、換気扇は油まみれだし、まな板汚いし、だらしない印象に変わっちゃった」

 

自宅に招いたのに、陰でこんな事言われてはたまらないですよね。

 

なるほど、こんな部分でマウントの取り合いになるのだと知り、ママ友とは一定の距離を置くべきだと知りました。

 

もちろん話しをしているうちに

「めちゃくちゃ気が合う!」

なんて方もいらっしゃいますが、普通は子供が成長すれば会わなくなる方だし……と必要以上に仲良くしないようにしています。

 

本当に縁あって一生付き合える人ならば、あちらも同じように考えて下さるでしょうし、ずっと付き合っていきたいと思うママ友は、もはやママ友の域を超えていませんか?

 

私は、自宅にママ友を呼ばないので、上記の事件のようにママ友に支配される前に距離を保つ、もしくは縁を切ってしまうだろうと予想されます。

 

……と言ってる人が、実はいちばんマインドコントロールしやすい人らしいですが(笑)

⑰抱きしめる


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昔は

「『抱き癖』がつくから、抱っこはしなくていい」

と言われていましたね。

 

私も物心ついた時から、両親から

「大好きだよ」

と抱きしめられた記憶はありません。これは30代から上の世代の方々は、ほとんどそうだと思います。

 

 

なぜ抱っこをしないように言われてきたのかと、よく分析されていますが、やはり

『厳しく育てる』

ことが前提だったおかげでしょうね。

 

泣いたから抱っこすれば甘やかしていることになるから、と思われていたのと、昔のお母さん方は忙しかったから赤ちゃんが少々泣いたところで抱っこしてあやす暇がなかった、といった説がありますね。

 

 

私自身も大型ショッピングモールでショッピング中に全く見知らぬご婦人から

「『抱っこ』と言われて、すぐに抱っこしてはダメよ。抱きグセをつけちゃいけません」

と諭されるように注意された経験があります。

 

 

理由は何であれ、抱き癖がつくといけないという説は科学的根拠は一切なく、むしろ今はたくさん抱っこしましょう

と言われています。

 

 

私が出産した産婦人科でも、院長先生も看護師さん(助産師さん)も全員が口を揃えて

「たくさん抱っこしてあげて」

とおっしゃいました。

 

看護師さんに教わったのは

「欲しい物を無限に与えるのは甘やかしだけど、情緒的な求めに応じるのは甘えさせていること。情緒的な甘えは100%応じてあげて」ということ。

 

甘やかしは悪だけれど、甘えさせることは悪ではないとおっしゃっていました。

 

 

我が子は可愛かったので(親バカです、ごめんなさい)とにかく抱っこしていました。

ですから、我が子も抱っこされることが大好きでした。

 

1歳過ぎる頃には、ベビーカーを準備し始めると

「乗らない!」

と言わんばかりに、ぷんぷん怒ったりしていました。

 

スキンシップは十分過ぎるほどだったと思います。

今は随分成長しましたが、つらい時や悲しい時は、自然と泣きながら抱きついてきますし、私も躊躇なく抱きしめています。

 

そして泣いている我が子を抱きしめながら、我が子が徐々に落ち着き、抱きしめている私も落ち着くことに気付きました。

 

十分に甘えさせたからといって、我が子が弱い子だとは思えません。

むしろ、他人の心の動きにも敏感で、柔軟性もあり、強い子に育ってくれていると感じます。

 

お子さんは、たくさん抱っこしましょう。

⑯休む/その1


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今回は、いつもに増してパパ向けよりママ向けのお話になります。

 

『ワンオペ育児』なんて言葉が生まれるくらい核家族化している現代で、育児はどんなに頑張っても、意外と身近な人から批判や非難されちゃいますよね。

 

義理のお母さん(姑)から

「抱きグセをつけちゃダメ」

実のお母さんから

「ちょっと甘やかし過ぎなんじゃない?」

ママ友から

「好き嫌いなく食べさせてる?食育って大事よー」

唯一の味方であるはずのご主人から

「仕事で疲れてるんだから、子供の面倒まで見られないよ」

 

等々、似たり寄ったりな事言われませんでしたか?

 

 

そんな時に子供がグズったりすると

「うるさい!」

とつい身勝手な感情をぶつけてしまって、後悔したことも一度や二度ではないでしょう。

 

 

自分の悩みやつらさを、世の中の誰も理解してくれないと、ひしひしと押し寄せる孤独感に苛まれたでしょう。

 

そして我が子が成長するにつれて、楽になるどころか悩みは変化していき、ふと気付くと、ずっと子供に神経が向いているのではないでしょうか?

 

 

私がスクールカウンセラーの先生から言われた事で、とても印象に残っている言葉があります。

 

「お子さんの事に真剣に向き合っているのはよくわかります。

でもお母さん側も、ちょっとだけ息抜きしましょう。

お子さんが学校に行っている間に何か趣味をやっておくとか、ひとりで繁華街に出かけてショッピングを楽しむとか。

お母さんがずっとお子さんだけを見ていたら、お子さんも窮屈です。

『あなたがいない間に◯◯したのよ』

って報告すれば、お子さんも

『お母さんの世界』『自分の世界』があることを自覚します」

 

 

この一言で

(ああ、私は最近家に引きこもりがちだったなあ)

と気付きました。

 

 

それで早速、カウンセリングの翌日に郊外のショッピングモールに出かけ、併設されている映画館で映画を見た後に、ちょっとお高めのランチを食べました。

もちろん甘くておいしいデザート付きです(笑)

 

 

帰宅した頃には、我が子のことでモヤモヤして、家でひとりで泣いていた日々がウソのようにすっきりしていました。

 

それ以来、我が子が登校渋りの挙げ句、休んでしまった日もずっと一緒にいる時もあれば、食料品の買い物を理由に家から離れてみることもやっています。

 

おしゃれなパン屋さんでパンを買って、我が子にお土産にしたら喜んでもらえて、一石二鳥です。

 

同じようにHSCの子供を持つママ友も、自宅で落ち込んだままの子供と顔を突き合わせるより、近所の公園を散歩したりするのだと話していました。

 

 

カウンセラーの先生は、息抜きとおっしゃいましたが、私は

数時間母親を休む

という気持ちでいます。

 

 

我が子と離れていても母親であることには変わりないのですが、母親業を休むこと、これは精神的にも楽になれます。

 

みなさんも行き詰まってしまったら、是非とも気が合うお友達と出かけたり、ひとりになってみることをオススメします。

⑮共感する/その2


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共感する大事さは、その1でちょっとだけ記しましたが、更に深く書きたいと思います。

④共感する/その1 - Cross・Maria

 

 

共感とは読んで字のごとく、相手の気持ちを我が事のように同調することです。

共感することは子育てだけでなく、人付き合いの中でも必要ですよね。

 

 

親友だと思える人がいるとします。

たいてい「気が合う」ことが親しい理由かと思われますが、この

『気が合う』

も根っこには

『共感』

が含まれています。

 

大人の付き合いの中では、共感することを日頃からよくやっているにも関わらず、子育てとなれば、共感することを『甘やかしている』ととらえてしまう方が少なくありません。

 

 

例えば。

子供が道路で転んでケガをし、痛みに泣き続けたとしたら。

「いつまでも泣かないの!はい、立って」

厳しく育てる方は、そう言うでしょう。

 

そこで

「痛かったね。膝をすりむいちゃったね、痛かった痛かった」

と共感し、泣きやむまで抱きしめることが甘やかしでしょうか?

共感は子供に

「痛かったあなたの気持ち、わかるよ」

と伝えているだけなのです。

 

 

 

あなたの気持ちがわかるよ=あなたがわかるよ=あなたを認めているよ

 

 

 

これは甘やかしではなく、愛情であり、子供のあなたを親の私はよくわかるよ、と伝えているだけなのです。

 

また「いつまでも泣かないの」という言葉も「それくらい痛いわけないでしょう」といった親側の価値観の押し付けに過ぎません。

 

 

親の価値観と子供の価値観は、決して同じではありません。

なぜなら、子供もひとりの人間であり、生まれ持った人格があります。

そうなれば、親と違った価値観を持っていてもおかしくありません。

 

 

子供が大きくなってからも言えることです。「学校に行きたくない」

と言う子供に対して

「行かないと勉強遅れるよ」

内申書が悪くなるでしょう」

と言って、無理矢理登校させることが、果たして正しいのでしょうか? 

 

この例は不登校のところで詳しく記したいと思いますが、行きたくないと言う子供に対して、理由はどうであれ、我慢して登校しろと言ってしまうのは非常に危険です。

 

 

これもやはり、共感が全くなく、子供は孤独感を強めるばかりです。 

 

 

 

共感することは、日頃の人間関係だけでなく、子育てにも必要な行為と言えるでしょう。

⑭答える


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私はおしゃべりです。

誤解なきよう付け加えると、

『隠し事が出来ないおしゃべり』というわけではなく

『お話が大好きなおしゃべり』ということです。

多分口は固いですよ(笑)

 

我が子もかなりおしゃべりです。

幼い頃からペラペラ話していましたし、不思議なんですが幼児特有の言い間違えもほとんどありませんでした。

 

私がおしゃべりだから、我が子もおしゃべりなのかな?と考えてみた時。

少しばかり心がけていたことが、繋がってきているのかな?と考えつきました。

 

 

実は我が子が喃語(ばぶー、あー、などと言ってる時期・生後数ヵ月から一歳手前くらい?)を口にしている間、ずっと

「あー、そうなの?」

「うんうん、楽しいね」

「喉が乾いたのかな?」

「ワンワンがいるねー」

などと答えていました。

 

医学的には、赤ちゃんが喃語を話している時期は、声帯の動かし方や、発声を学んでいるそうです。

 

ベビーサインもちょっとだけ取り入れたので、離乳食時期はベビーサイン

「今からごはんだ!」

と理解していたようです。

 

 

喃語に対して返答する

 

 

これは、乳幼児向けの体操教室に通ってた時に、講師の先生から

「赤ちゃんなりの言葉を発しているので、意味がわからなくても答えてあげましょう

と教わったことです。

 

利点として

『言葉の発達が早い』

ボキャブラリーが増える』

『赤ちゃんが愛情を感じる』

といった内容を挙げられていました。

 

根拠はありませんが、我が子が言葉が早く、幼いうちから言葉で意思疎通が出来ていたのは、喃語に答え続けていたからではないかと思うのです。

 

小学校高学年になった時に、我が子が

「ママは抱っこしてくれたら、必ず何か私に話しかけてたよね。

あれ、たまにうるさかった

と言われましたが(笑)

 

でも4~5歳の頃特有の

「これ、なあに?」

「あれは、なあに?」

が全くといって良いほどありませんでした。

 

それくらい、我が子は言葉の理解度が早かったのです。

 

 

少々親バカな内容になりましたが。

『何を言ってるかわからないから、答えない』のではなく

『何か言ってるみたいだから、答える』が必要なのかもしれませんね。