Cross・Maria

フツーの主婦が子育てあるあるをつぶやきます

㉑休む/その2

 

f:id:annakato:20210407070432j:image

『休む・その1』では、ママを少し休みましょうねと書きました。

今回は、お子さんが学校を休むことについてです。

 

私は小・中・高校と通じて、登校したくない日も「行きたくない」と親に訴えたことはありませんでした。

 

母は常々、登校拒否(昔は不登校の生徒を登校拒否と呼んでいました)のお子さんの話題になると

「あんたも、行きたくないなら行かなくていい。別に私は困らないから」

と突き放したように、なぜかどや顔で言っていました。

 

お勉強に遅れて困るのは私(母)ではなく、あんた(私)だから、どうでもいいと言うわけです。

 

 

そして私のほうは、体裁第一の母が私の登校拒否を許すはずがないと知っていました。

学校を休んだところで口うるさい母が黙っているわけがなく、1日中

「何がイヤなの?」

「何が気に入らないの?」

という感じで責められるのもわかっていました。

 

だから結構無理して登校していた記憶があります。

 

 

それが私にどう影響したか?

 

 

上手く表現出来ないんですが、いつもギリギリの瀬戸際で生きていた気がします。

崖っぷちに立たされているような気持ちです。

うっかり足を滑らせてしまったら、もう終わり。

そんな感じでした。

ずっとキツかったです。

そして暗黒の日々もあったし(笑)人を傷つけたりもしました。

 

 

我が子が生まれてからは、その辺りを理解出来るママになろうと決めました。

 

我が子は生まれた時から、随分と繊細だったので、集団生活(始まりは幼稚園)に入れば、気持ちがキツい時もあるだろうと予測していました。

 

 

予想通り、小学校高学年で友人関係に悩み

「明日は学校行きたくない」

と言われることが増えてきました。

 

その時は、私は迷いなく休ませ、気晴らしにドライブに行ったり、ランチに連れて行ったりもしました。

↓こんなランチ

 


f:id:annakato:20210821224600j:image

 

↑これはIKEAのランチ(笑)

 

 

すみません、IKEAのランチは余談でしたが……

 

 

ところが、いつも元気な我が子が休むと、翌日に仲良しや、まあまあお話をするお友達から

「昨日、どうしたの?」

なんて尋ねられるわけです。

 

我が子は「うん、まあね、ちょっと気持ちがキツかった」⇒

お友達は帰宅して「気持ちがキツいから休んでたらしい」⇒

お友達のご両親「気持ちがキツくても我慢して通うのが学校だ、それは甘え」

翌日お友達から「うちの親は『キツくても我慢して登校しろ』って言ってた。休むのは甘えだって」⇒

帰宅した我が子が「休むのは甘えなんだって……」

 

私は我が子には

「ご家庭によって考え方は各々だから、気にしないで」

と話していました。

『休むのは甘えではないし、大人と子供はストレスを許容出来る範囲が違うから、ちょっとしたことでも気持ちや脳が疲れるんだよ』という説明もしたと思います。

 

 

 

休むことが甘えだとお考えの方は、非常に腹立たしい内容かとお察しします。

遠慮なく、ここで読むのをやめて下さいね。 

 

 

まず、大人のストレスの感じ方と、子供のストレスの感じ方は違います。

なぜなら、子供は経験値が低く、大人よりもストレス過多になりやすいのです。

ストレスを貯める容量だって、ずっと小さいです。

 

 

ゲームに例えれば。

子供はHPは少なく、

回復に使えるグッズも種類が少なく、

強力な武器も持たず、

ラスボスどころか通常の対戦相手を打ち負かすことが出来るような、これといった決め技も持ち合わせていないのです。

そうしたら、闘いにはあっさり負けてしまいます。

 

 

大人になれば自分がストレスフルだと感じると、

ストレス解消に趣味に走ったり、

親友と飲み明かしたり、

ストレスをなくす方法をいくらでも知っています。

 

でも、子供はそうもいきません。

 

行かなきゃいけないことはわかってるけど、行きたくない

子供の気持ちがこういう事ならば、思いきって1日休ませるのもアリではないでしょうか?

 

⑳遊ぶ


f:id:annakato:20210407070406j:image

私は幼い頃から、外で遊ばせてもらった機会が少なかったように記憶しています。

母が『遊び=悪』と思いこんでいる節がありました。

 

ただ、社会人になった時に、私には

コミュニケーション能力も、

他者に共感する力も、

気遣う能力も、

人一倍低いと気付きました。

 

だから知らないうちに誰かを傷つけてしまったり、

気の効いた言葉もかけてあげられなかったり、つくづくダメな人間でした。

 

それからはなるべく

『ありがとう』

『ごめんなさい』

『大丈夫?』

などの言葉がすんなり出るように、意識付けしてきました。

 

 

そして『なぜ私はこうなんだろう?』とずっと考え続けてきました。

 

 

我が子が生まれて育児に追われる中で、ずっと考え続けてきましたが......

 

 

もしかしたら、幼い頃にあまり遊ばせてもらえなかったことが原因ではないか?という説にたどり着きました。

 

要するに、遊ぶ中で学んでいくコミュニケーション力を全く持てずに大人になったのは、幼少期に遊ぶことがまるで足りていなかったのだと。

 

いろんな育児書を読んでいても、遊ばせることは大事だと書かれていました。

 

 

ですから我が子は、暑かろうが寒かろうが、遊びに行きたいと言えば、禁じたことはありません。

おかげで私が見習わなければならないくらいに、コミュニケーション力は高く、周囲への気遣いも出来、誰かに従うより対等に意見を述べ合い、時には皆をまとめて引っ張ることも出来ます⇒親バカでーす(笑)

 

いろんな説をまとめてみると、子供を精一杯遊ばせることによって

 

・コミュニケーション能力を培う

・自発性、柔軟性、創造性が身につく

・社会性や判断力が身につく

・好きなことをやった後の満足感を知っている

・筋力がつき、身体的な成長に繋がる

 

等々、良い事づくめなのです!!!

 

 

私の母のように『遊ぶ=悪』と考え、幼稚園の頃からお勉強(幼稚園時は知育と呼ぶかもしれません)ばかりさせているママ友がいました。

 

教育熱心で、私もいろいろ教わったりしましたが、そのお子さんはコミュニケーション力が低く、みんなと一緒に遊ぶと

「鬼になりたくない」

とじゃんけんを拒否したり、みんなで決めたルールを守らなかったりで、徐々に周りが遊んでくれなくなったようです。

 

ママ友はお子さんが遊びたがらなくなったので、ここぞとばかりに塾へ通う日数を増やしていましたが、お子さんは第一志望・第二志望の中学に合格出来ませんでした。

 

遊びを禁じた結果がこれでは、何だかお子さんが哀れに思えて仕方ありませんでした。

 

 

お勉強も勿論大事です。

でもそのお勉強を難なくこなし、希望の学校への合格を勝ち取るには、お勉強だけでは足りないんでしょうね。

⑲切り離す

f:id:annakato:20210405185336j:image

何を切り離すかというと、子供を叱る時の親側の感情です。

 

善悪の区別は、保護者がして見せたり、口で伝えたりして教えていくものですよね。

その時の伝え方です。

 

私は我が子が幼い頃

『叱る前に考えましょう

それは命に関わりますか?

また、よそ様にご迷惑をかけてしまう行為ですか?

そうでなければむやみやたらに叱らないこと!!』

と書いた紙を冷蔵庫のドアに貼っていました。

 

絵本をびりびりに破ってしまうのは力の加減がわからないだけだし、

いつまでも泣くのは眠かったり、機嫌が悪かったり、何か訴えたいことがあるから。

 

おうちの物を何でも触りたがるのは好奇心旺盛なだけだし、

何度も同じ遊びをしたがるのは本当に楽しいから。

 

 

そう考えてみれば、叱らなければいけない場面は意外と少ないんです。

「今日1日中、子供を叱ってた」

なんてことになりたくなかったのです。

 

 

そして叱った後はいつまでも引きずらずに

「わかってくれたかな?じゃあ、おいで」

と必ず抱きしめました。

 

これを甘やかしだと思われますか?

違うんです。

 

 

例えば。

公共交通機関内(バスや電車、飛行機等)で子供がグズって、静かにして欲しい時。

 

「周りのみなさんにご迷惑になるから、静かにしよう?」

までは『行為』を叱っていますがこれに続いて

「だから何度も言わせないでよ」

「ほんっとに、あなたは何を言ってもわからない子よね」

「よそのお子さんは出来てるのに」

 

これはつい言ってしまいがちですが、全て『人格否定』に繋がります。

え?厳しくしてるだけですけど?とお思いの方、いらっしゃいますか?

 

まず「何度も言わせないでよ」

⇒一度でわからなければ二度、三度、理解出来る(改善する)まで何度でも言えば良いのです。

 

「ほんっとに、あなたは何を言ってもわからない子供よね」

⇒これはお子さんの姿を、親側の価値観のみで『決めつけ』ているだけです。

 

「よそのお子さんは出来てるのに」

⇒比較する必要がないのです。

 

 

あなたはあなた

 

 

言い続けて理解してもらうためには、周りとの比較は不要です。

 

上記の言葉は全て、親側の感情(価値観)に過ぎません。

だったら、何かをわからせるために、親側の感情は必要でしょうか?

いいえ、必要ではありませんよね。

 

これは私の経験談ですが、私もよく母親から「周りと比べてみたら、あなたは本当にダメな子だ」

といった事を言われていました。

 

母親は、きっと私に奮起して欲しかったのでしょうが、私はいつも心の中で

「じゃあ、よその子のお母さんになればいいじゃん」

「そんなに嫌いなら、なんで私を産んだの?」

と考えていました。

 

 

実は厳しくするつもりが、子供の心を傷つけていることがあるのです。

 

 

強く傷つけて従わせるよりも、マナーとして礼儀として、これはこうしましょうね、と教えたほうが、お子さんのためになるのではないのでしょうか?

 

大人側の感情は切り離し、ただ事実と行為を叱り、改善出来たら褒める。

 

これで十分だと思います。

 

雑記・その⑤/登校渋りPart1


f:id:annakato:20210504212802j:image

不登校の手前の「学校に行きたくない」とグズることを

『登校渋り』

と呼びます。

 

文科省が定義を示してくれているわけではありませんが

朝になると、登校したくないとグズり、渋ったりすること。

しかし結果的には登校している。

のです。

 

 

ですから、不登校と違って、登校渋りが日本全国に何%くらい存在するか、把握出来ていないと考えられます。

なぜなら『とりあえず登校しているから』数値は目に見えていませんよね。

 

 

我が子には、この登校渋りがあります。

対応に困り果てて、臨床心理士の先生のカウンセリングを受けるようになりました。

 

登校渋りはグズグズ言いつつも最終的には登校しますし、でもどうしても気力が湧かない時には休みます。

 

休む期間はひと月に1日だけだったり、1日おきだったり、2~3日休んだり、休み方も一様ではありません。

そして、不登校のように長期間連続では休みません。

 

 

保護者が

「うちの子は登校渋りがあります」

と学校へ申し出ない限り、担任の先生から見れば

「この生徒は、ちょっと身体が弱いのかな」

といった印象を持つことでしょう。

 

登校渋りの原因はまた様々です。

発達障害だったり、HSCだったり。

 

我が子はHSCなので、それに関する書籍が増えており、対応方法は比較的入手しやすいと思います。

 

しかし不登校でさえなかなか認知されないのですから、登校渋りはもっと理解してもらえません。

 

 

我が子が学校に行きたがらないと普通に話すと

「ワガママに育てちゃったね」

「育てにくいお子さんね」

なんて言われる事もありました。

 

 

違うんです!!!

 

 

我が子は我が子なりに、たくさん感じて、

たくさん吸収して、

たくさんイヤな事もあって、

たくさん考えて……

爆発寸前だから

行きたくない

になっちゃうんです。

繰り返しますが爆発寸前なのです。

 

特にHSCは何事に対しても過敏です。

先生が男子を叱る声に、自分の気持ちがやられてしまったり、

女子がこそこそと誰かをイジメているのを見ると、自分の気持ちがやられてしまったりするんです。

 

ここで

「あなたに対してではないから気にするな」

と言ってしまうと、これは完全に親側の価値観の押し付けになってしまいます。

 

私(親)は気にならない⇒だからあなたも気にするな、という理屈は、

気にする人の気持ちを完全に無視していることになるのです。

 

そしてこれもよく言われますが

「自分自身をしっかり持っていたら、他人は気にならない」

ということ。

 

 

これも違うんです!!!

 

 

自分自身が確立されているからこそ、他人の気持ちが痛いほど理解出来て、やられてしまうのです。

HSCの子供から見たら、他人は気にならない子供が無神経に見えて仕方ないのです。

 

 

人には多様性があります。

価値観も各々違います。

 

 

ですから

「いろいろ気になる」

と言っているお子さんの気持ちをワガママだと叱ったり、全然理解出来ないとため息つくのではなく

「そうよね、あなたは気になっちゃうよね

と受け止めることが最初のステップです。

 

理解出来ていなくてもいいんです。

とりあえず

「あなたは気になっちゃうよね」

これを口にするだけで、お子さんは

「お母さんは僕を(私を)わかってくれた」

と心を閉じることはなくなります。

 

 

 

 

⑱一線を引く/その1



f:id:annakato:20210504212710j:image

バウンダリー(Boundary)=境界線

自分自身と他者の間に境界線を引くことです。

 

アドラー流では『課題の分離』とされています。

あなたの課題、私の課題、と一線を引き、他人の課題を引き受けないことです。

 

 

境界線を引くってなぜ?とお思いでしょう。端的に言えば、ストレスから自分自身を守ることになるからです。

 

 

境界線を引けていないことによって

・心の奥底では「やりたくない」と思いながら渋々やることで発生するストレス

・他人の言動や感情のケアをしなければならないストレス

・境界線を引けていないことによって、無意識のうちに他者をコントロールしようとするストレス

 

等々が降りかかってきます。

 

 

他人の課題を引き受けてしまって、あなた自身がストレスに支配されてしまっては本末転倒ですよね。

 

世の中には面倒な事を何とか他人に押し付けて、自分は楽をしようとする人間が、どんな業界、どんな企業、どんな世界にも一定数存在します。

 

 

またこのような人は

『頼まれたらイヤと言えない人』を見抜く力が、なぜか備わっています(笑)

しかもあまり意識的には行っていない人が多いですよね。

 

無意識に利用出来そうな人を見抜いて、実際に利用してしまうなんて、一種の才能です(もちろん皮肉ですが)

 

 

ここで誤解を招きたくないのですが、境界線を引いて内に籠ろうと言っているのではありません。

『個人の概念』

『個人以外の概念』

を切り離して考えることと言えば、わかりやすいでしょうか?

 

 

他人は他人として存在を認めつつ、あなた自身をしっかり守るイメージです。

 

 

また再び、バウンダリー(境界線)の引き方については記していきます。

雑記その④/ママ友の距離感


f:id:annakato:20210407000757j:image

 

2021年3月に発覚した福岡県の篠栗町で、母親と一緒に生活していながら、五歳の男の子が餓死した事件。

ショッキングでしたね。

まだ人生のほんの入り口で、命をなくしてしまった男の子のご冥福をお祈りするばかりです。

 

最愛のママから水しか与えられずに亡くなっていくなんて、この物質的に豊かな現代社会ではとても考えられない事件でした。

 

本音は、まあいろんな感情ありますが......ここでは触れないことにします。

支配していたとされる女性に対して、罵詈雑言を浴びせかねないので。

 

 

 

報道で明らかになるにつれ、ママ友に支配されていた母親の姿が見えてきました。

 

ママ友って、文字通り

『ママとして知り合う』

ので共通項は

『子持ち』

です。

時には最強の味方であり、

時には最大の敵にもなりうる存在だと私は思っています

⇒あくまで私の主観です。

 

最大の敵とは、この我が子を餓死させてしまうくらいに母親がママ友からコントロールされて、人間としての尊厳も何もないこんな状況をさすかなあと思います。

 

 

私は基本的にママ友はある一定の距離を保つようにしていて、子供同士はお互いの自宅を訪問しあって遊んでも、ママを招きませんし、私も訪問しません。

お誘いを受けても、何だかんだと理由をつけて伺わないようにしています。

 

理由は非常に簡単で、我が家のキッチンやリビングを、あまりよそ様に見られたくないだけです(笑)

 

まだ我が子が生まれてすぐの頃に、同じマンションの顔見知りの奥様と廊下ですれ違いました。

 

ベビーカーの我が子を見て、おめでとうとお祝いを述べた後に、その方が

「同じ学年になるかもしれない同じマンション内のお子さん」

を教えて下さいました。

 

教えて下さるのはありがたいです。

でもこの情報も、人によっては話して欲しくないかもしれないよね……と考えながら、聞いていました。

 

話が弾んで(というより、ほぼあちらが一方的にお話しをされていた)ママ友の必要性も説かれました。

「悩みがあったら打ち明ける相手が必要」というわけです。

 

そしてなぜか、その方が仲良くしているママ友のお話しになり(この方も同じマンションでした……)

「彼女のこと、嫌いじゃないんだけどね、リビング見ると、ゴミひとつ落ちてないの。でもキッチンはぐちゃぐちゃなの。意味わかんないでしょ?洗い物が山のようにシンクに溜まっていて、食器も100均っぽいし、換気扇は油まみれだし、まな板汚いし、だらしない印象に変わっちゃった」

 

自宅に招いたのに、陰でこんな事言われてはたまらないですよね。

 

なるほど、こんな部分でマウントの取り合いになるのだと知り、ママ友とは一定の距離を置くべきだと知りました。

 

もちろん話しをしているうちに

「めちゃくちゃ気が合う!」

なんて方もいらっしゃいますが、普通は子供が成長すれば会わなくなる方だし……と必要以上に仲良くしないようにしています。

 

本当に縁あって一生付き合える人ならば、あちらも同じように考えて下さるでしょうし、ずっと付き合っていきたいと思うママ友は、もはやママ友の域を超えていませんか?

 

私は、自宅にママ友を呼ばないので、上記の事件のようにママ友に支配される前に距離を保つ、もしくは縁を切ってしまうだろうと予想されます。

 

……と言ってる人が、実はいちばんマインドコントロールしやすい人らしいですが(笑)

⑰抱きしめる


f:id:annakato:20210404223802j:image

 

昔は

「『抱き癖』がつくから、抱っこはしなくていい」

と言われていましたね。

 

私も物心ついた時から、両親から

「大好きだよ」

と抱きしめられた記憶はありません。これは30代から上の世代の方々は、ほとんどそうだと思います。

 

 

なぜ抱っこをしないように言われてきたのかと、よく分析されていますが、やはり

『厳しく育てる』

ことが前提だったおかげでしょうね。

 

泣いたから抱っこすれば甘やかしていることになるから、と思われていたのと、昔のお母さん方は忙しかったから赤ちゃんが少々泣いたところで抱っこしてあやす暇がなかった、といった説がありますね。

 

 

私自身も大型ショッピングモールでショッピング中に全く見知らぬご婦人から

「『抱っこ』と言われて、すぐに抱っこしてはダメよ。抱きグセをつけちゃいけません」

と諭されるように注意された経験があります。

 

 

理由は何であれ、抱き癖がつくといけないという説は科学的根拠は一切なく、むしろ今はたくさん抱っこしましょう

と言われています。

 

 

私が出産した産婦人科でも、院長先生も看護師さん(助産師さん)も全員が口を揃えて

「たくさん抱っこしてあげて」

とおっしゃいました。

 

看護師さんに教わったのは

「欲しい物を無限に与えるのは甘やかしだけど、情緒的な求めに応じるのは甘えさせていること。情緒的な甘えは100%応じてあげて」ということ。

 

甘やかしは悪だけれど、甘えさせることは悪ではないとおっしゃっていました。

 

 

我が子は可愛かったので(親バカです、ごめんなさい)とにかく抱っこしていました。

ですから、我が子も抱っこされることが大好きでした。

 

1歳過ぎる頃には、ベビーカーを準備し始めると

「乗らない!」

と言わんばかりに、ぷんぷん怒ったりしていました。

 

スキンシップは十分過ぎるほどだったと思います。

今は随分成長しましたが、つらい時や悲しい時は、自然と泣きながら抱きついてきますし、私も躊躇なく抱きしめています。

 

そして泣いている我が子を抱きしめながら、我が子が徐々に落ち着き、抱きしめている私も落ち着くことに気付きました。

 

十分に甘えさせたからといって、我が子が弱い子だとは思えません。

むしろ、他人の心の動きにも敏感で、柔軟性もあり、強い子に育ってくれていると感じます。

 

お子さんは、たくさん抱っこしましょう。