Cross・Maria

フツーの主婦が子育てあるあるをつぶやきます

⑫認知の歪み


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認知の歪みとは簡単に言えば

思考パターン

のことです。個人個人の

『とらえ方の違い』

『考え方のくせ』

をさします。

 

誰かのちょっとズレた思考を

「その考え方はおかしい」

と決めつけるのではなく、認知が歪んでいると理解してみましょう。

 

この認知の歪みが大きいと、不安感を増大させたり、延長線上には鬱などの精神疾患を引き起こしてるのではないかと、一般的には言われているようです。

 

例えば。

・全ての物事に白黒をつける

(好きか嫌いか、敵か味方か、良いか悪いか等々)

・自分自身の解釈が一般的と決めつける

(絶対に私が正しい、これが常識だから、みんなそうだから等々)

・レッテルを貼る

(あの人は何もわからないから、AB型だから変わった人、若いからダメなんだ等々)

 

といった考え方です。

何もかもネガティブにとらえてしまうことも当てはまります。

 

この認知の歪みの根底には、固定概念が存在しており、その固定概念は生きてきた中で学んだり、経験したことから作り上げられたものだと言われています。

 

この極端な考え方は、実は修正することが可能なのです。

それは以下のように、いくつか手順を踏みます。

 

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①イライラ、モヤモヤなどの感情をいつ、どこで、何をきっかけに持ったのかをじっくり思い出してみる

◆会社で先輩社員から

「この書類、数値のミスがあるけど。資料も渡したのに何時間も何やってたの、使えない人だね」

と叱られたことでイライラ、モヤモヤしているなあ。

 

②事実と自分自身の感情が矛盾していないか考えて、見落としている事実や情報がないかを考える

◆事実:資料を渡され、何時間もかけて作成した書類に記載した数値が間違っていた

 矛盾:いつも頑張っているんだから、私は『使えない人』ではない

 見落としている事実:私のミスのせいで先輩は部長から叱られ、プレゼンテーション 

 に遅れてしまった

 

③上記の①②をふまえて、自身の主張や考え方が間違っていないか、他の考え方は出来ないかを考える

◆『使えない人』の言葉に傷ついて、きちんと謝罪していなかった。

 今回のミスに日頃の頑張りは関係ない、それは甘えだ。

 

 

④③で考えてみたことを実際に行動に移してみて、様子を見る。事態が好転すれば、考え方は正しく、悪化すればまた①に戻ってみる

 ◆翌日出社してすぐに先輩社員に誠意を持って謝罪する。

 許してもらえるかどうかは別として、反省の気持ちと今後は同じミスしないと誓う。

 

 

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これは子供の考えや保護者側の考えを変えたい時にも役立ちます。

 

ただ私達は自分自身の考え方を変えてみたり、言動を変えてみたり、ということはなかなか難しいでしょう。

特に年齢を重ねていけばいくほど、難しいかもしれません。

 

何しろ、思春期の子供達の心情は、分単位で揺れ動いているようなものです。

そんな子供達の言動には、ついつい振り回されてしまい、いちいち腹を立ててしまいがちですね。

 

でも、自身も周囲も幸せに生活するためにも『考え方の修正』に一度チャレンジしてみるのもありかもしれませんよ。

⑪主語は私(I・アイ)


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「主語は私???そんなの、当たり前だろうよ」と思いますよね。

 

ここで述べるのは、相手に何かを伝えたい時の

『伝え方』

のお話です。

 

例えば。

夫に対して

「あなたっていつもそう言うけど、世間的にはその意見はズレてるよ」

と言ってしまえば

「何だと!?」

てな具合に、ほぼ100%喧嘩になりますよね。

場合によっては長期戦になりかねません……

 

では

「それに対するあなたの考えと、私の考えは違うのよ」

と言ってみたとしたら?

「え?どう違うの?」

と会話が続いて喧嘩にはならないかもしれません。

 

相手を責めるような言い方を、私(I)を主語にして伝えてみるのです

 

育児に応用すると

「お友達の悪口なんか言っちゃダメ」

ではなく

「お母さん(私・I)はあなたがお友達の悪口言ってるのを聞いたら、悲しくなっちゃう」

 

「頑張ってね」

ではなく

「(私から見ると)よく頑張ってるね」

 

主語を相手(子供)にするのではなく、私(I)に変えることで成長を無理に促す形ではなく、成長を喜ぶ形が伝わっていきます。

 

 

これは、子供の自己肯定感を高めることに繋がっていきます。

 

 

幼い頃は

「うわあ、ひとりでお上手にお着替え出来たねー、お兄ちゃんになったね!!」

と褒めていたことを

「(母親の私達から見たら)とてもよく頑張ってるよね」

と表現を変えたようなものです。

 

忙しくてそんな言い方してられない!と思われるでしょう。

 

1日に1回でもいいので、この言い方に変えてみませんか?

きっと、思春期のささくれ立った気持ちに、じんわりと染み込む優しさになることでしょう。

雑記その③/子供を産むか否かPart2


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前回は、子供を産まなきゃいけないという考えは古いし、価値観の押し付けじゃないか、と書きました。

 

ただ、これは

『子供を産むか否か選択出来る人側』

からの目線だったので、今回は

『子供を産まなければならない人』

のお話をしたいと思います。

 

 

子供を産まなければならない人とは、例えば必ず跡継ぎが必要なご家庭のことです。

 

今の時代に『跡継ぎ』だと???(゜_゜)

と思われるでしょうが、歌舞伎役者には跡継ぎが必要ですし、老舗の造り酒屋にも跡継ぎが必要でしょう。

日本には家督制度がもう法律で定められてはいないのに、色濃く残っていますね。

 

そんなご家庭、ご家族のもとへ嫁がれた女性は(『嫁ぐ』という単語の使用はさておき、です)子供、しかも男児を産むことを望まれます。

 

ここで前回書いたように

『産みたいけど妊娠しない女性』

『産みたいけど産めない女性』

だった場合の風当たりの強さ、キツさは安易に想像出来ますね。

 


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ちなみに上記は、数年前に某サイトに姑の立場の方が相談し、見事に炎上したものです。

私は今でも「釣りであって欲しい」と思っています。

 

『男の子を産むのは嫁として暗黙の了解』

『新しい嫁をもらう』

『息子も悩んでいる様子』

『嫁を出ていかせる』

『男の子を産めば許す』

 

うーん……なかなか香ばしいワードが並んでいます(笑)

初めて読んだ時は、時代錯誤過ぎて声に出して笑ってしまいましたが(笑)

今でもこんな思考回路の姑がいるんですね。

 

 

このご一家が、どんな状況に置かれているかはわかりません。

上記の歌舞伎役者のご家族のように、何が何でも跡継ぎが必要なのか、

はたまた大した資産もない中流家庭なのか、書いてありませんから。

 

ただ言えることは、跡継ぎが

『男子でなければならない』

『長男が跡継ぎでなければならない』

のでしょうか?

付け加えるならば

『(男子の)実子でなければならない』

のでしょうか?

 

以前、私も不妊・不育に苦しんだと書きました。

幸いにも姑は

「夫婦仲良く過ごすのがいちばんだ」

と言い、子供を急かすことは全くありませんでした。

それどころか

「子供がいなくても家庭・家族なんだ」

と全く普通のように語っていました。

 

それでも交際範囲が広い姑のことですから、周りからは

「お孫さん、まだなの?」

とは言われていただろうし、そう聞かれて毎回不快な気持ちになっていただろうと想像はつきます。

 

家族間で急かされることがなかっただけ、私は楽だったかもしれません。

 

 

それでも流産を繰り返すと、諦めてしまう時期もあり、養子縁組について調べたことがありました。

 

今は特別養子縁組も知られるようになりましたが、私が調べた時はさほど情報がなかったように記憶しています。

 

乳児院児童養護施設からの引き取りや養子縁組は、かなり難しい条件(離婚歴がない、夫婦の年齢が何歳以下等々)や手続きがあり、私達夫婦には無理だと諦めました。

 

 

でもその時に感じたことは

「日本は血の繋がり(実子)をこんなに重視しているのか」

ということでした。

 

『産みの親より育ての親』という言葉もあるように、私自身がお腹を痛めて産まなくても、養子縁組で引き取った子供でも、育てていけば私達夫婦の子供になるんじゃないの?と考えていました。

 

結局は養子縁組は諦め、妊娠も諦めた途端に妊娠した、という思いがけない展開となりました。

しかし、血の繋がりを強く求める日本では養子縁組はかなり難しいのです。

 

アメリカでは名の知れた俳優が養子をたくさん迎えたり、一般的にも養子を育てていることは珍しくありません。

手続きそのものが日本ほど制限がないようです。

 

それに伴い、金銭目当て・営利目的で養子斡旋団体を立ち上げる人もいたりで、手続きが簡素であるがゆえに問題は起きているようです。

 

ここでは、その問題まで踏み込みはしませんが、子供を授かれない場合は必ずしも実子でなくとも、養子を迎えてもいいのでは?と思うのです。

 

『子供を産んでこそ一人前』

というくだらない概念と共に

『産みの苦しみを知ってこそ、一人前の母親』

という概念も存在します。

 

でも産みの苦しみを知っていても、愛情が薄い母親なんて何人も見てきましたし、子供を捨てる母親も見てきました。

そんなの、母親本人次第です。

 

子供を持つが持つまいが、一人前の人間はたくさんいますし、

帝王切開で出産しようが、他人の子供を育てていようが、一人前の人間はたくさんいます。

 

そろそろ、こうした古くさい考え方は一切捨て去り、子供を望むご夫婦に不妊治療費を全額負担する制度や、養子縁組手続きの簡素化を法的に整備していただいても良いんじゃないでしょうか?

⑩待つ



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以前『待てる親になれ』という記事を読んだ記憶があります。

 

特に子供が幼いうちは

「早く着替えて」

「早く靴を履いて」

「早くしてよ」

と言いがちです。

 

我が子は幼い頃はのんびりした子だったので、何をするにしても時間に余裕を持って行動するようにしていました。

 

幼稚園では

「それが正解、この子は急かしちゃいけない子よ」

と先生に褒められて嬉しかったことも覚えています。

 

子供はわざとゆっくりしているわけではないらしいのです。

そのスピードでしか動けない

んだそうです。

 

だから『待てる親になれ』なのです。

 

実は

子供のスピードに合わせる=子供のありのままの姿だと受け止める

ことであり、これは子供の自己肯定感を高める行動のひとつです。

 

何しろよく考えてみたら

「早く着替えて欲しい」

という気持ちは

「時間がない」

「急いでいるのに」

「見ていたらイライラする」

といったような大人側の勝手な都合であり、価値観の押し付けに過ぎないように思えます。

 

また、私達大人が何かに悩んで、最適な解決法が見つからない時に

「しばらく流れに身を任せよう」

なんてこともありますよね。これもひとつの『待ち』ですよね。

 

年齢や成長に応じて、出来る事も増えていきます。

それまで子供のスピードに合わせて、見守っていく(待つ)ことも親の愛情なのかもしれませんね。

雑記その②/子供を産むか否か



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少子高齢化の現代。

うんと昔は7人兄弟、8人姉弟なんて当たり前の時代がありましたよね(昭和初期くらい?)私の祖父母も兄弟がたくさんいました。

 

家族の間で

「ほら、○○さんの息子さんが……」と親戚の話になっても

『○○さんって、祖母の姉なのか妹なのか?』

って、ちょっと考えなきゃいけない、とかあるあるじゃないですか?(笑)

それぐらい昔は子沢山でした。

 

昔は医療も発達しておらず、乳幼児期に早世してしまうことが少なくなく、だからたくさん産んでおこうみたいな考えがあったり、また三世代・四世代にわたって同居することが多く、子供の面倒を見る大人の人数もたくさんいたり、現代とは事情が違うようですね。

 

今はひとりっ子も珍しくないですし、三人のお子さんや双子さん持ちだと

「うわあ、毎日戦争みたいでしょー?」

ってついワンオペ育児の大変さを察してしまいます。

 

私は子供を産みましたが、実は我が子を授かるまで数年間、不妊・不育に苦しみました。

流産すると

「ああ、あなたに原因があるのね」

「ふうん、悪いのはあなたとご主人とどっち?」

なんて心ない言葉をかけられた回数も数知れず。

なぜ私だけに原因があると決めつけてくるのかも、意味がわかりませんでした(笑)

 

しかも子供が産まれれば

「良かったー、これであなたのおうちに、子供の写真付き年賀状を送ることが出来る!」

と知人に言われたりもしました。

子供がいない私を気遣って、みんなとは違う年賀状を送っていたそうです。

 

お気遣いに感謝しつつも、どうせなら最後まで黙っていて欲しかったなあと感じました。

 

年配の女性からは

「昔は結婚して3年子供が出来なかったら『石女』って呼んで離縁されてたのよ?あなた、追い出されないだけ、ご主人に感謝しなさい」

とか

「挨拶代わりに『お子さんはまだ?』って聞いちゃいけないなんて、つまらない世の中になったものよね」

とか今考えても、随分好き勝手に言われていましたね。

 

 

さて、正解はどうかは別として

子供を産んでこそ人間として一人前だ

という考えは、古くから存在します。

 

この概念は、正解か不正解か?

どちらでもない気がします。

これこそ倫理観ではなく価値観だと私は思っています。

 

ほとんどの場合、倫理観には正解が存在しますが、価値観には正解がありません。

 

価値観は人それぞれが持つもので、仮にそこに道徳や倫理が含まれていたとしても、価値観は自分以外の人間に押し付けてはなりません。

なぜなら、自らの価値観を押し付けることは、押し付けた相手の人生そのものを支配しようとしているからです。

 

本来、自分の人生は、誰かにコントロールされたり、口出しされたりするべきではありません。

例え親子であっても。

 

私は出産を経て、それまでは知らなかった感情を自覚し、知識を得ました。

ですから、我が子には

『生まれてきてくれてありがとう』

という気持ちでいっぱいです。  

 

かといって、誰もに対して

「子供は産むべき」

とは思っていません。

子供がいない夫婦生活も数年間ありましたが、とても楽しいものですし、大人全員が『親』という立場に向いているわけでもないですし。

赤ちゃんを諦め、キャリアを追求している女性がいたら誰よりも応援したいです。

 

また『産まない』選択をした女性ばかりでなく

『産めない』女性もいることを、世間は忘れてはならないでしょう。

 

私がなかなか出産に至らず、流産を繰り返していた時に必ず言われていたのが

「何が悪いの?どうしてなの?」

 

その頃によく考えていたことが

「癌にかかった人に『どうしてなの?』なんて聞かないのと同じように、不妊・不育に苦しむ人にも『どうしてなの?』なんて尋ねて欲しくない」 

ということでした。

 

私は幸いにも出産まで何とかこぎつきましたが、いろんな事情で出産そのものを諦めなければいけない女性もいるわけです。

 

その方々に私が言われたような

「石女だと呼ばれて……」

の発言などは、無神経を通り越して残酷でしかありません。

「どうしてなの? 」の発言も同様です。

 

子供を持たない選択が出来るのは、生物の中では理性を持った人間のみです。

産まない(産めない)選択をした女性を、批判して良い人間などいません。

 

時代と共に、価値観も正義の形も移り変わっていきます。

だったら『子供を産んでこそ一人前』という価値観も現代にはそぐわないのではないでしょうか?

 

⑨見直す



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見直す=リフレーミングといいます。

物事の枠組(frame)を別の枠組(re-frame)で見直す、ということです。

 

物事はいろんな側面を持っています。そしてそれは、人間の性格にも言えることかもしれません。

 

『雨が降ったらいやだな』

と思ってしまうことを

久しぶりの恵みの雨で、庭のお花が喜ぶ

と考えを変えてみると、イヤな気分にならない、というような事です。

 

 

お子さんがコップに入ったジュースを半分こぼしてしまったとします。

「半分もこぼしてしまった……」

ではなく

「半分残ってるから良かったね」

 

お子さんが持ち帰ったテストが70点だったとします。

「あれだけお勉強して、たったの70点なの?」

ではなく

「30点分しか間違えなかったのね!」

 

どちらの言い方が正しい、とかではありません。厳しく突き放すことで奮起するお子さんもいらっしゃるはずですから。

 

ただ、違うとらえ方(re-frame)することで、実はあまり真剣に悩まなくても良い事柄だったりするのです。

 

でも、日々の生活の中で、少しでもお子さんが良い環境で成長していくには、ちょっとずつポジティブになれる言葉かけが出来たら楽しく過ごせそうな気がしませんか?

⑧傾聴する



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傾聴とは心理学のテクニックのひとつでもあります。

 

私はスクールカウンセラーの先生と話をしていたら、対話中に

「あ、これは相手が悪いんだ」とか

「子供がいちばん苦しいんだな」とか

出来事に対して客観視出来るようになりました。

 

こういう表現で正しいのかわかりませんが、自分の内に持っていた感情を一旦『手放す』感覚です。

 

すると手放した感情を、カウンセラーの先生と一緒に

「あーでもないこーでもない」

と考えてみて

「じゃあ、選択肢はこのふたつですね」

「こんな言い方だと伝わるね」

と答えに導いてもらってるような雰囲気になります。

 

今は私側の気持ちを記しましたが、傾聴とはカウンセラーの先生側の姿勢です。

 

どうしていいかわからず、世の中に味方なんてひとりもいないと思いながら、スクールカウンセラーの先生と1時間お話をしただけで「わかった!こうすればいいんだ!」

とスッキリして帰宅出来るのは、先生の『傾聴』のおかげなのです。

 

傾聴:相手をよく理解し、気持ちを汲み取り、共感する聴き方

 

と言われています。カウンセラーの方は決して話す側の姿勢を否定しません。

例え間違っていても、ではなぜ間違った考えに至ってしまったのか?を一緒に考えて下さいます。

 

これ、実は子育てに役立つんです。

 

以前『聴く』の巻で触れたことに共通してきますが、傾聴はもっと高度なテクニックです。

 

聴くという行為自体が、なかなか大変です。他の考え事をしながら、というわけにはいかないので集中力が必要になります。

 

私自身のカウンセリングに戻りますが、私はカウンセリング中はとにかくいっぱい話したくて早口になり、一気に話します。

 

会話の中に

「えっとー」

「だからそれは……」

なんて考える言葉も入らないくらいに、これがわからない、子供の気持ちに寄り添っているのか、こんなふうに苦しい、どうしたら良いかわからない……とまくしたてます。

 

カウンセラーの先生はひたすら

「そうなんですね」

「悲しくなりますよね」

「そういう気持ちになるのは、よくわかります」受動的な傾聴

 

ちょっと言葉に詰まると

「要するにこういうことが言いたかったんですよね?」反射的傾聴

を繰り返します。

 

そして時折、私からの質問に答える際に

「先程おっしゃったような◯◯を……」

と私が使用した単語を繰り返したり、ご自身の経験談を交えてお話をなさいます積極的傾聴

 

これをそのまま、育児にあてはめてみます。

 

「アヤカと喧嘩しちゃった」

「あら、喧嘩しちゃったの?」⇒受動的傾聴

 

「うん。帰りの地下鉄の中で、アヤカの失敗談を笑ったら『笑って欲しくなかった』って怒り始めて」

「アヤカちゃんのお話に笑ったら怒らせてしまったのね。あなたは怒らせるつもりなかったのよね」⇒反射的傾聴

 

「謝ったんだけど、許してもらえなくて。そのままアヤカの駅に着いたから、バイバイも言えなかった。どうしよう」

「そんなつもりじゃなかったのに、って事はよくあるよね。悪意があって笑ったんじゃないよって伝えられたらいいかもしれない。電話しにくいだろうから、メールしてみたら?」⇒積極的傾聴

 

かなり省略した会話ではありますが、こんな感じです。

 

これには相手の会話スピードに合わせる、相槌を繰り返す、などいろんなテクニックを駆使するとより良い関係になれるそうです。