Cross・Maria

フツーの主婦が子育てあるあるをつぶやきます

⑯休む/その1


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今回は、いつもに増してパパ向けよりママ向けのお話になります。

 

『ワンオペ育児』なんて言葉が生まれるくらい核家族化している現代で、育児はどんなに頑張っても、意外と身近な人から批判や非難されちゃいますよね。

 

義理のお母さん(姑)から

「抱きグセをつけちゃダメ」

実のお母さんから

「ちょっと甘やかし過ぎなんじゃない?」

ママ友から

「好き嫌いなく食べさせてる?食育って大事よー」

唯一の味方であるはずのご主人から

「仕事で疲れてるんだから、子供の面倒まで見られないよ」

 

等々、似たり寄ったりな事言われませんでしたか?

 

 

そんな時に子供がグズったりすると

「うるさい!」

とつい身勝手な感情をぶつけてしまって、後悔したことも一度や二度ではないでしょう。

 

 

自分の悩みやつらさを、世の中の誰も理解してくれないと、ひしひしと押し寄せる孤独感に苛まれたでしょう。

 

そして我が子が成長するにつれて、楽になるどころか悩みは変化していき、ふと気付くと、ずっと子供に神経が向いているのではないでしょうか?

 

 

私がスクールカウンセラーの先生から言われた事で、とても印象に残っている言葉があります。

 

「お子さんの事に真剣に向き合っているのはよくわかります。

でもお母さん側も、ちょっとだけ息抜きしましょう。

お子さんが学校に行っている間に何か趣味をやっておくとか、ひとりで繁華街に出かけてショッピングを楽しむとか。

お母さんがずっとお子さんだけを見ていたら、お子さんも窮屈です。

『あなたがいない間に◯◯したのよ』

って報告すれば、お子さんも

『お母さんの世界』『自分の世界』があることを自覚します」

 

 

この一言で

(ああ、私は最近家に引きこもりがちだったなあ)

と気付きました。

 

 

それで早速、カウンセリングの翌日に郊外のショッピングモールに出かけ、併設されている映画館で映画を見た後に、ちょっとお高めのランチを食べました。

もちろん甘くておいしいデザート付きです(笑)

 

 

帰宅した頃には、我が子のことでモヤモヤして、家でひとりで泣いていた日々がウソのようにすっきりしていました。

 

それ以来、我が子が登校渋りの挙げ句、休んでしまった日もずっと一緒にいる時もあれば、食料品の買い物を理由に家から離れてみることもやっています。

 

おしゃれなパン屋さんでパンを買って、我が子にお土産にしたら喜んでもらえて、一石二鳥です。

 

同じようにHSCの子供を持つママ友も、自宅で落ち込んだままの子供と顔を突き合わせるより、近所の公園を散歩したりするのだと話していました。

 

 

カウンセラーの先生は、息抜きとおっしゃいましたが、私は

数時間母親を休む

という気持ちでいます。

 

 

我が子と離れていても母親であることには変わりないのですが、母親業を休むこと、これは精神的にも楽になれます。

 

みなさんも行き詰まってしまったら、是非とも気が合うお友達と出かけたり、ひとりになってみることをオススメします。

⑮共感する/その2


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共感する大事さは、その1でちょっとだけ記しましたが、更に深く書きたいと思います。

④共感する/その1 - Cross・Maria

 

 

共感とは読んで字のごとく、相手の気持ちを我が事のように同調することです。

共感することは子育てだけでなく、人付き合いの中でも必要ですよね。

 

 

親友だと思える人がいるとします。

たいてい「気が合う」ことが親しい理由かと思われますが、この

『気が合う』

も根っこには

『共感』

が含まれています。

 

大人の付き合いの中では、共感することを日頃からよくやっているにも関わらず、子育てとなれば、共感することを『甘やかしている』ととらえてしまう方が少なくありません。

 

 

例えば。

子供が道路で転んでケガをし、痛みに泣き続けたとしたら。

「いつまでも泣かないの!はい、立って」

厳しく育てる方は、そう言うでしょう。

 

そこで

「痛かったね。膝をすりむいちゃったね、痛かった痛かった」

と共感し、泣きやむまで抱きしめることが甘やかしでしょうか?

共感は子供に

「痛かったあなたの気持ち、わかるよ」

と伝えているだけなのです。

 

 

 

あなたの気持ちがわかるよ=あなたがわかるよ=あなたを認めているよ

 

 

 

これは甘やかしではなく、愛情であり、子供のあなたを親の私はよくわかるよ、と伝えているだけなのです。

 

また「いつまでも泣かないの」という言葉も「それくらい痛いわけないでしょう」といった親側の価値観の押し付けに過ぎません。

 

 

親の価値観と子供の価値観は、決して同じではありません。

なぜなら、子供もひとりの人間であり、生まれ持った人格があります。

そうなれば、親と違った価値観を持っていてもおかしくありません。

 

 

子供が大きくなってからも言えることです。「学校に行きたくない」

と言う子供に対して

「行かないと勉強遅れるよ」

内申書が悪くなるでしょう」

と言って、無理矢理登校させることが、果たして正しいのでしょうか? 

 

この例は不登校のところで詳しく記したいと思いますが、行きたくないと言う子供に対して、理由はどうであれ、我慢して登校しろと言ってしまうのは非常に危険です。

 

 

これもやはり、共感が全くなく、子供は孤独感を強めるばかりです。 

 

 

 

共感することは、日頃の人間関係だけでなく、子育てにも必要な行為と言えるでしょう。

⑭答える


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私はおしゃべりです。

誤解なきよう付け加えると、

『隠し事が出来ないおしゃべり』というわけではなく

『お話が大好きなおしゃべり』ということです。

多分口は固いですよ(笑)

 

我が子もかなりおしゃべりです。

幼い頃からペラペラ話していましたし、不思議なんですが幼児特有の言い間違えもほとんどありませんでした。

 

私がおしゃべりだから、我が子もおしゃべりなのかな?と考えてみた時。

少しばかり心がけていたことが、繋がってきているのかな?と考えつきました。

 

 

実は我が子が喃語(ばぶー、あー、などと言ってる時期・生後数ヵ月から一歳手前くらい?)を口にしている間、ずっと

「あー、そうなの?」

「うんうん、楽しいね」

「喉が乾いたのかな?」

「ワンワンがいるねー」

などと答えていました。

 

医学的には、赤ちゃんが喃語を話している時期は、声帯の動かし方や、発声を学んでいるそうです。

 

ベビーサインもちょっとだけ取り入れたので、離乳食時期はベビーサイン

「今からごはんだ!」

と理解していたようです。

 

 

喃語に対して返答する

 

 

これは、乳幼児向けの体操教室に通ってた時に、講師の先生から

「赤ちゃんなりの言葉を発しているので、意味がわからなくても答えてあげましょう

と教わったことです。

 

利点として

『言葉の発達が早い』

ボキャブラリーが増える』

『赤ちゃんが愛情を感じる』

といった内容を挙げられていました。

 

根拠はありませんが、我が子が言葉が早く、幼いうちから言葉で意思疎通が出来ていたのは、喃語に答え続けていたからではないかと思うのです。

 

小学校高学年になった時に、我が子が

「ママは抱っこしてくれたら、必ず何か私に話しかけてたよね。

あれ、たまにうるさかった

と言われましたが(笑)

 

でも4~5歳の頃特有の

「これ、なあに?」

「あれは、なあに?」

が全くといって良いほどありませんでした。

 

それくらい、我が子は言葉の理解度が早かったのです。

 

 

少々親バカな内容になりましたが。

『何を言ってるかわからないから、答えない』のではなく

『何か言ってるみたいだから、答える』が必要なのかもしれませんね。

⑬肯定する/その1


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今回は自己肯定感についてです。

 

私はこの自己肯定感が低いです。

自己肯定感という言葉が世に出始める前から、私は自分を全く好きではない人間なのだと自覚がありました。

 

そしてそういう気持ちになったのは、親からの愛情不足が原因であることも、わかっていました。

 

おそらくこの文章を読むと、両親が

「愛情たっぷりに育ててきた!」

と怒るのも目に見えています(笑)

 

ですから

「私が望んでいた愛情量ではなかった」

ということにしておきます。

 

さてさて、自己肯定感とは?

 

自分自身の価値に関する感覚のこと。

ありのままの自分を認め、受け入れ、自分を尊重し、自分自身の全存在を肯定すること。

 

です。簡単に言えば、自分を大好きかどうかということですね。

自分だけが可愛い自己保身とは全く違います。

 

 

日本人はこの自己肯定感が、先進国の中で異様なくらいに低いそうです。

だから自殺率も高いと言われています。

 

 

なぜだと思いますか?

 

 

これは私個人の持論なんですが

(ここ、大きな前提です)

おそらく日本に多い『厳しく育てる』ことがまだまだ推奨されているせいではないか、と思います。

 

厳しく育てようとすれば、幼いうちから褒めることをしませんし、突き放すことを美徳とします。

 

それが子供には

「私は(僕は)愛されていない」

というように伝わってしまうのです。

 

「私は(僕は)愛されていない」⇒

「どうでもいい存在なんだ」⇒

「どうせ私(僕)なんか……」⇒

「自分を好きになれない」⇒

そして自己肯定感が低い人間となってしまいます。

 

 

例えば。

テスト前に一生懸命お勉強したのに点数が悪かった

⇒「勉強したのにこの点数?あんたは本当にダメな子ねー」

 

厳しいとはこういう事なんでしょうが、正解は『過程を認める』なんです。

結果を責めるのではなく

「でも、あんなにたくさんお勉強出来たよね。次に繋がるよ」

と伝えるのです。

 

社会人になれば、結果が全てです。

過程など誰も認めてくれません。

 

『幼いうちから、家庭で厳しく接していれば、社会に出た時に苦労しない』

という気持ちが厳しくする理由でしょう。

 

でも、果たしてそうでしょうか?

私は厳しく躾られましたが、精神的にはかなり弱い部分があります。

上司や仕事内容が厳しいのは全く平気ですが、にっちもさっちもいかなくなった時、乗り越える力が弱いのです。

 

厳しく育てられたから、社会で苦労しなかったでしょう?と言われたら、答えはNOです。壁にぶち当たった時の絶望感、虚無感は半端なかったです(笑)

 

そして自己肯定感が低いせいで、ずっとずっと自分自身を責め続けました。

死をよぎったこともあります。

こんなに頑張って生きているのに……

と何もかも投げ出したくなるのです。

 

我が子は厳しく育てていません。

でも学校で受けたテスト(性格診断のようなもの)では自己肯定感の高さがずば抜けていました。

 

臨床心理士の先生に、そのテスト結果をお見せした時は

「自己肯定感が高いですねー」

と感心されました。

感情にも波がなく、思春期には珍しい落ち着きがあると言われました。

 

 

HSCでかなり繊細な子供ではありますが、壁にぶち当たった後の立ち直りが、とにかく早いです。

 

とことん落ち込みはします。

落ち込み方が激しいのですが、わりと短期間で発想を転換させたり、次の目標設定が早いのです。

 

 

これは自己肯定感の高さが関係しています。

 

 

ですから、むやみやたらに厳しく育てなくても、子供の自己肯定感を高める努力を怠らなければ、多少の波は乗り越えられると信じているのです。

 

「あなたが生まれてきてくれて幸せ」

「あなたがいてくれるだけで、私は嬉しい」

と常々伝え続けると、自己肯定感はアップします。

 

ただし、この厳しくしない子育ては、合わないお子さんもいらっしゃることは私も承知していますし、全員に当てはまるわけではないことも記しておきますね。

⑫認知の歪み


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認知の歪みとは簡単に言えば

思考パターン

のことです。個人個人の

『とらえ方の違い』

『考え方のくせ』

をさします。

 

誰かのちょっとズレた思考を

「その考え方はおかしい」

と決めつけるのではなく、認知が歪んでいると理解してみましょう。

 

この認知の歪みが大きいと、不安感を増大させたり、延長線上には鬱などの精神疾患を引き起こしてるのではないかと、一般的には言われているようです。

 

例えば。

・全ての物事に白黒をつける

(好きか嫌いか、敵か味方か、良いか悪いか等々)

・自分自身の解釈が一般的と決めつける

(絶対に私が正しい、これが常識だから、みんなそうだから等々)

・レッテルを貼る

(あの人は何もわからないから、AB型だから変わった人、若いからダメなんだ等々)

 

といった考え方です。

何もかもネガティブにとらえてしまうことも当てはまります。

 

この認知の歪みの根底には、固定概念が存在しており、その固定概念は生きてきた中で学んだり、経験したことから作り上げられたものだと言われています。

 

この極端な考え方は、実は修正することが可能なのです。

それは以下のように、いくつか手順を踏みます。

 

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①イライラ、モヤモヤなどの感情をいつ、どこで、何をきっかけに持ったのかをじっくり思い出してみる

◆会社で先輩社員から

「この書類、数値のミスがあるけど。資料も渡したのに何時間も何やってたの、使えない人だね」

と叱られたことでイライラ、モヤモヤしているなあ。

 

②事実と自分自身の感情が矛盾していないか考えて、見落としている事実や情報がないかを考える

◆事実:資料を渡され、何時間もかけて作成した書類に記載した数値が間違っていた

 矛盾:いつも頑張っているんだから、私は『使えない人』ではない

 見落としている事実:私のミスのせいで先輩は部長から叱られ、プレゼンテーション 

 に遅れてしまった

 

③上記の①②をふまえて、自身の主張や考え方が間違っていないか、他の考え方は出来ないかを考える

◆『使えない人』の言葉に傷ついて、きちんと謝罪していなかった。

 今回のミスに日頃の頑張りは関係ない、それは甘えだ。

 

 

④③で考えてみたことを実際に行動に移してみて、様子を見る。事態が好転すれば、考え方は正しく、悪化すればまた①に戻ってみる

 ◆翌日出社してすぐに先輩社員に誠意を持って謝罪する。

 許してもらえるかどうかは別として、反省の気持ちと今後は同じミスしないと誓う。

 

 

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これは子供の考えや保護者側の考えを変えたい時にも役立ちます。

 

ただ私達は自分自身の考え方を変えてみたり、言動を変えてみたり、ということはなかなか難しいでしょう。

特に年齢を重ねていけばいくほど、難しいかもしれません。

 

何しろ、思春期の子供達の心情は、分単位で揺れ動いているようなものです。

そんな子供達の言動には、ついつい振り回されてしまい、いちいち腹を立ててしまいがちですね。

 

でも、自身も周囲も幸せに生活するためにも『考え方の修正』に一度チャレンジしてみるのもありかもしれませんよ。

⑪主語は私(I・アイ)


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「主語は私???そんなの、当たり前だろうよ」と思いますよね。

 

ここで述べるのは、相手に何かを伝えたい時の

『伝え方』

のお話です。

 

例えば。

夫に対して

「あなたっていつもそう言うけど、世間的にはその意見はズレてるよ」

と言ってしまえば

「何だと!?」

てな具合に、ほぼ100%喧嘩になりますよね。

場合によっては長期戦になりかねません……

 

では

「それに対するあなたの考えと、私の考えは違うのよ」

と言ってみたとしたら?

「え?どう違うの?」

と会話が続いて喧嘩にはならないかもしれません。

 

相手を責めるような言い方を、私(I)を主語にして伝えてみるのです

 

育児に応用すると

「お友達の悪口なんか言っちゃダメ」

ではなく

「お母さん(私・I)はあなたがお友達の悪口言ってるのを聞いたら、悲しくなっちゃう」

 

「頑張ってね」

ではなく

「(私から見ると)よく頑張ってるね」

 

主語を相手(子供)にするのではなく、私(I)に変えることで成長を無理に促す形ではなく、成長を喜ぶ形が伝わっていきます。

 

 

これは、子供の自己肯定感を高めることに繋がっていきます。

 

 

幼い頃は

「うわあ、ひとりでお上手にお着替え出来たねー、お兄ちゃんになったね!!」

と褒めていたことを

「(母親の私達から見たら)とてもよく頑張ってるよね」

と表現を変えたようなものです。

 

忙しくてそんな言い方してられない!と思われるでしょう。

 

1日に1回でもいいので、この言い方に変えてみませんか?

きっと、思春期のささくれ立った気持ちに、じんわりと染み込む優しさになることでしょう。

雑記その③/子供を産むか否かPart2


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前回は、子供を産まなきゃいけないという考えは古いし、価値観の押し付けじゃないか、と書きました。

 

ただ、これは

『子供を産むか否か選択出来る人側』

からの目線だったので、今回は

『子供を産まなければならない人』

のお話をしたいと思います。

 

 

子供を産まなければならない人とは、例えば必ず跡継ぎが必要なご家庭のことです。

 

今の時代に『跡継ぎ』だと???(゜_゜)

と思われるでしょうが、歌舞伎役者には跡継ぎが必要ですし、老舗の造り酒屋にも跡継ぎが必要でしょう。

日本には家督制度がもう法律で定められてはいないのに、色濃く残っていますね。

 

そんなご家庭、ご家族のもとへ嫁がれた女性は(『嫁ぐ』という単語の使用はさておき、です)子供、しかも男児を産むことを望まれます。

 

ここで前回書いたように

『産みたいけど妊娠しない女性』

『産みたいけど産めない女性』

だった場合の風当たりの強さ、キツさは安易に想像出来ますね。

 


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ちなみに上記は、数年前に某サイトに姑の立場の方が相談し、見事に炎上したものです。

私は今でも「釣りであって欲しい」と思っています。

 

『男の子を産むのは嫁として暗黙の了解』

『新しい嫁をもらう』

『息子も悩んでいる様子』

『嫁を出ていかせる』

『男の子を産めば許す』

 

うーん……なかなか香ばしいワードが並んでいます(笑)

初めて読んだ時は、時代錯誤過ぎて声に出して笑ってしまいましたが(笑)

今でもこんな思考回路の姑がいるんですね。

 

 

このご一家が、どんな状況に置かれているかはわかりません。

上記の歌舞伎役者のご家族のように、何が何でも跡継ぎが必要なのか、

はたまた大した資産もない中流家庭なのか、書いてありませんから。

 

ただ言えることは、跡継ぎが

『男子でなければならない』

『長男が跡継ぎでなければならない』

のでしょうか?

付け加えるならば

『(男子の)実子でなければならない』

のでしょうか?

 

以前、私も不妊・不育に苦しんだと書きました。

幸いにも姑は

「夫婦仲良く過ごすのがいちばんだ」

と言い、子供を急かすことは全くありませんでした。

それどころか

「子供がいなくても家庭・家族なんだ」

と全く普通のように語っていました。

 

それでも交際範囲が広い姑のことですから、周りからは

「お孫さん、まだなの?」

とは言われていただろうし、そう聞かれて毎回不快な気持ちになっていただろうと想像はつきます。

 

家族間で急かされることがなかっただけ、私は楽だったかもしれません。

 

 

それでも流産を繰り返すと、諦めてしまう時期もあり、養子縁組について調べたことがありました。

 

今は特別養子縁組も知られるようになりましたが、私が調べた時はさほど情報がなかったように記憶しています。

 

乳児院児童養護施設からの引き取りや養子縁組は、かなり難しい条件(離婚歴がない、夫婦の年齢が何歳以下等々)や手続きがあり、私達夫婦には無理だと諦めました。

 

 

でもその時に感じたことは

「日本は血の繋がり(実子)をこんなに重視しているのか」

ということでした。

 

『産みの親より育ての親』という言葉もあるように、私自身がお腹を痛めて産まなくても、養子縁組で引き取った子供でも、育てていけば私達夫婦の子供になるんじゃないの?と考えていました。

 

結局は養子縁組は諦め、妊娠も諦めた途端に妊娠した、という思いがけない展開となりました。

しかし、血の繋がりを強く求める日本では養子縁組はかなり難しいのです。

 

アメリカでは名の知れた俳優が養子をたくさん迎えたり、一般的にも養子を育てていることは珍しくありません。

手続きそのものが日本ほど制限がないようです。

 

それに伴い、金銭目当て・営利目的で養子斡旋団体を立ち上げる人もいたりで、手続きが簡素であるがゆえに問題は起きているようです。

 

ここでは、その問題まで踏み込みはしませんが、子供を授かれない場合は必ずしも実子でなくとも、養子を迎えてもいいのでは?と思うのです。

 

『子供を産んでこそ一人前』

というくだらない概念と共に

『産みの苦しみを知ってこそ、一人前の母親』

という概念も存在します。

 

でも産みの苦しみを知っていても、愛情が薄い母親なんて何人も見てきましたし、子供を捨てる母親も見てきました。

そんなの、母親本人次第です。

 

子供を持つが持つまいが、一人前の人間はたくさんいますし、

帝王切開で出産しようが、他人の子供を育てていようが、一人前の人間はたくさんいます。

 

そろそろ、こうした古くさい考え方は一切捨て去り、子供を望むご夫婦に不妊治療費を全額負担する制度や、養子縁組手続きの簡素化を法的に整備していただいても良いんじゃないでしょうか?