昨今、教育虐待という言葉を、ニュースや雑誌で目にすることが増えてきました。
教育虐待
だなんて、ドキッとしますよね。
教育と虐待は相反する単語ですから。
提唱する方によっては
『エデュケーションハラスメント』略して『エデュハラ』と名付けていたりもします。
そもそも教育虐待とは?
教育熱心な親(両親どちらもであったり、片方の親だけであったり)が子供の能力に関わらず過度な期待を背負わせ、結果が出ない場合に叱責、突き放すこと。
子供の希望や人格を無視し、勉学や習い事を無理強いすること。
だそうです。昔は教育ママなんて言葉もありました。
親が子を思うあまりの行為ではあるのですが、親は『子供のため』と信じて疑わず、子供は虐待されている自覚がないのです。
さて、なぜ親は虐待じゃないかと言われてしまうくらい、一般的なお勉強のさせ方ではなく、もっとハードにお勉強をさせてしまうのか?
誰のためだかわからなくなるようなお勉強(習い事)の強制、
無理に親が敷いたレールを走らせる……
あるテレビ番組では、お勉強ばかりさせられてきた女性は
「親を殺したかった、いつも『死んで欲しい』と思っていた」
と涙ぐみながら語っていました。
周りを見渡してみた時、先程挙げたように、子供のためだという親心とは別に、親側の自己肯定感の低さも垣間見えたりします。
自らの自己肯定感の低さに気付かず、良いお母さんだと呼ばれたいがために、肯定感を高めるために子供にお勉強ばかりさせる。これは、子供の人格を無視していることです。
また、子供の学歴=良い親御さん、というふうにお考えの方、実は結構な数いるように感じます。
もちろん学歴は高いほうが世間の評価は高いです。高学歴のほうが、将来の選択肢はぐんと増えます。
私も我が子から
「なぜ学歴が高いほうがいいの?」
と尋ねられた時は
「なりたいもの、何にでもなれるから」と答えました。
でも!!!
良い私立中学校に合格したのも、偏差値が高い大学に入学したのも、全て
『子供本人が頑張った結果』です。
もちろん
「塾の送迎しました」
「遅くまでお勉強する子供のために、夜食を作りました」
「塾や学校のお月謝のためにパートの仕事をしました」
ときっと『親子で闘ってきた』ようにお考えでしょう。親御さんの支えがあってこその合格だと思います。
けれどもやはり、いちばん頑張ったのはお子さんであり、お子さんの学歴がそのまま親御さんの評価に繋がる風潮は少し論点がズレていないでしょうか?
その風潮こそが、教育虐待を生み出しているように感じます。
また、少子化の現代、3~40年前のように大学は「お勉強が優秀な子が行く」わけではなく、Fラン大なんて言葉もあるように学力に合った大学に進学することが出来ます。
昔のように「大卒だから賢い」神話は崩れてしまいました。
そうなると「とりあえず大学に進む」ことが何とかなる時代でもありませんね。
少しでも偏差値が高い中学・高校・大学に進む意味や意義を、親側が正確に伝えられないのであれば、それは教育虐待と言えるんでしょう。
親が子供を思うのであれば、本人の秘めた才能を掘り起こし、その才能を活かせるような学び場を提供することこそが、親の仕事かもしれません。