少子高齢化の現代。
うんと昔は7人兄弟、8人姉弟なんて当たり前の時代がありましたよね(昭和初期くらい?)私の祖父母も兄弟がたくさんいました。
家族の間で
「ほら、○○さんの息子さんが……」と親戚の話になっても
『○○さんって、祖母の姉なのか妹なのか?』
って、ちょっと考えなきゃいけない、とかあるあるじゃないですか?(笑)
それぐらい昔は子沢山でした。
昔は医療も発達しておらず、乳幼児期に早世してしまうことが少なくなく、だからたくさん産んでおこうみたいな考えがあったり、また三世代・四世代にわたって同居することが多く、子供の面倒を見る大人の人数もたくさんいたり、現代とは事情が違うようですね。
今はひとりっ子も珍しくないですし、三人のお子さんや双子さん持ちだと
「うわあ、毎日戦争みたいでしょー?」
ってついワンオペ育児の大変さを察してしまいます。
私は子供を産みましたが、実は我が子を授かるまで数年間、不妊・不育に苦しみました。
流産すると
「ああ、あなたに原因があるのね」
「ふうん、悪いのはあなたとご主人とどっち?」
なんて心ない言葉をかけられた回数も数知れず。
なぜ私だけに原因があると決めつけてくるのかも、意味がわかりませんでした(笑)
しかも子供が産まれれば
「良かったー、これであなたのおうちに、子供の写真付き年賀状を送ることが出来る!」
と知人に言われたりもしました。
子供がいない私を気遣って、みんなとは違う年賀状を送っていたそうです。
お気遣いに感謝しつつも、どうせなら最後まで黙っていて欲しかったなあと感じました。
年配の女性からは
「昔は結婚して3年子供が出来なかったら『石女』って呼んで離縁されてたのよ?あなた、追い出されないだけ、ご主人に感謝しなさい」
とか
「挨拶代わりに『お子さんはまだ?』って聞いちゃいけないなんて、つまらない世の中になったものよね」
とか今考えても、随分好き勝手に言われていましたね。
さて、正解はどうかは別として
『子供を産んでこそ人間として一人前だ』
という考えは、古くから存在します。
この概念は、正解か不正解か?
どちらでもない気がします。
これこそ倫理観ではなく価値観だと私は思っています。
ほとんどの場合、倫理観には正解が存在しますが、価値観には正解がありません。
価値観は人それぞれが持つもので、仮にそこに道徳や倫理が含まれていたとしても、価値観は自分以外の人間に押し付けてはなりません。
なぜなら、自らの価値観を押し付けることは、押し付けた相手の人生そのものを支配しようとしているからです。
本来、自分の人生は、誰かにコントロールされたり、口出しされたりするべきではありません。
例え親子であっても。
私は出産を経て、それまでは知らなかった感情を自覚し、知識を得ました。
ですから、我が子には
『生まれてきてくれてありがとう』
という気持ちでいっぱいです。
かといって、誰もに対して
「子供は産むべき」
とは思っていません。
子供がいない夫婦生活も数年間ありましたが、とても楽しいものですし、大人全員が『親』という立場に向いているわけでもないですし。
赤ちゃんを諦め、キャリアを追求している女性がいたら誰よりも応援したいです。
また『産まない』選択をした女性ばかりでなく
『産めない』女性もいることを、世間は忘れてはならないでしょう。
私がなかなか出産に至らず、流産を繰り返していた時に必ず言われていたのが
「何が悪いの?どうしてなの?」
その頃によく考えていたことが
「癌にかかった人に『どうしてなの?』なんて聞かないのと同じように、不妊・不育に苦しむ人にも『どうしてなの?』なんて尋ねて欲しくない」
ということでした。
私は幸いにも出産まで何とかこぎつきましたが、いろんな事情で出産そのものを諦めなければいけない女性もいるわけです。
その方々に私が言われたような
「石女だと呼ばれて……」
の発言などは、無神経を通り越して残酷でしかありません。
「どうしてなの? 」の発言も同様です。
子供を持たない選択が出来るのは、生物の中では理性を持った人間のみです。
産まない(産めない)選択をした女性を、批判して良い人間などいません。
時代と共に、価値観も正義の形も移り変わっていきます。
だったら『子供を産んでこそ一人前』という価値観も現代にはそぐわないのではないでしょうか?