私は幼い頃から、外で遊ばせてもらった機会が少なかったように記憶しています。
母が『遊び=悪』と思いこんでいる節がありました。
ただ、社会人になった時に、私には
コミュニケーション能力も、
他者に共感する力も、
気遣う能力も、
人一倍低いと気付きました。
だから知らないうちに誰かを傷つけてしまったり、
気の効いた言葉もかけてあげられなかったり、つくづくダメな人間でした。
それからはなるべく
『ありがとう』
『ごめんなさい』
『大丈夫?』
などの言葉がすんなり出るように、意識付けしてきました。
そして『なぜ私はこうなんだろう?』とずっと考え続けてきました。
我が子が生まれて育児に追われる中で、ずっと考え続けてきましたが......
もしかしたら、幼い頃にあまり遊ばせてもらえなかったことが原因ではないか?という説にたどり着きました。
要するに、遊ぶ中で学んでいくコミュニケーション力を全く持てずに大人になったのは、幼少期に遊ぶことがまるで足りていなかったのだと。
いろんな育児書を読んでいても、遊ばせることは大事だと書かれていました。
ですから我が子は、暑かろうが寒かろうが、遊びに行きたいと言えば、禁じたことはありません。
おかげで私が見習わなければならないくらいに、コミュニケーション力は高く、周囲への気遣いも出来、誰かに従うより対等に意見を述べ合い、時には皆をまとめて引っ張ることも出来ます⇒親バカでーす(笑)
いろんな説をまとめてみると、子供を精一杯遊ばせることによって
・コミュニケーション能力を培う
・自発性、柔軟性、創造性が身につく
・社会性や判断力が身につく
・好きなことをやった後の満足感を知っている
・筋力がつき、身体的な成長に繋がる
等々、良い事づくめなのです!!!
私の母のように『遊ぶ=悪』と考え、幼稚園の頃からお勉強(幼稚園時は知育と呼ぶかもしれません)ばかりさせているママ友がいました。
教育熱心で、私もいろいろ教わったりしましたが、そのお子さんはコミュニケーション力が低く、みんなと一緒に遊ぶと
「鬼になりたくない」
とじゃんけんを拒否したり、みんなで決めたルールを守らなかったりで、徐々に周りが遊んでくれなくなったようです。
ママ友はお子さんが遊びたがらなくなったので、ここぞとばかりに塾へ通う日数を増やしていましたが、お子さんは第一志望・第二志望の中学に合格出来ませんでした。
遊びを禁じた結果がこれでは、何だかお子さんが哀れに思えて仕方ありませんでした。
お勉強も勿論大事です。
でもそのお勉強を難なくこなし、希望の学校への合格を勝ち取るには、お勉強だけでは足りないんでしょうね。